事件の関係人物概要

この事件に直接関係するのは、母親(A)と父親(M)、その間に生まれた子供(R)の3人である。
Aは広島の呉に住んでいて、当時19歳で出会い系アプリでMと知り合った。
MはAよりも20歳年上で、栃木に住んでいたが、
出会い系アプリ上では、横浜在住の25歳と偽っていた。

Aには妹、母親、父親、親友がいる。
Mは両親が離婚し、母親に引き取られるも祖父に預けられる。

Aの父親は生活保護を受給しており、母親はパートで働いている。
Aは高校卒業後飲食店で寮に住み込みで働くが、辞めてもなお寮に住むことになる。
Aは父親との仲が険悪で、実家ではろくに話もしないらしい。

Mは万引きの前科があるものの、その後の交通事故に遭い引きこもる。
そんな中、Aと出会い系で出会う。

Rが生まれるまで

Mは出会い系での偽りの情報でAと出会い、
Aが暮らす広島の呉にやってきて、Aの寮でしばらく生活することになる。
その後Aの妊娠が発覚し、MとAの同居が始まる。
ちなみに、AはMが20歳も年上で、横浜出身であることに疑念を持たなかったという。
Mは職を転々とするが、とりあえず広島で働いてはいた。
Aは妊娠したものの、お金がかかるからと病院へは行かなかった。

H27年5月18日、Mにより、Aの知らないうちに婚姻届が提出されていたらしい。
H27年6月8日、Rが誕生する。
Rが生まれるまで、AもMもそのために病院に行っておらず、飛び込み出産だった。

3人の暮らしぶり

3人は寮から引越してアパートで暮らすことになる。
Mは仕事をしていたが、金の管理が甘く、家賃を滞納することがあり、
さらに家賃が少ないところに引越しを繰り返す。(引越しの費用はどうしたのか不明)
Aの母や親友からは多少の援助があったもよう。

H28年1月にMは生活保護をもらえるようになる。
このとき、3人は2階建の家に住んでいた。
AはMが生活保護をもらえると生活が安定すると思っていたが、
AとMの金の使い方が雑すぎて、生活に困ることが多かった。
具体的には、AもMも自分のためのものは買うが、
Rに必要なものには金をかけていない。
AもMも自分用のキーチェーンを購入したり、
着ぐるみを購入したり、タバコを買ったりするものの、
Rのミルクやオムツ、肌着などは購入していない。

Rは、冬なのに肌着を着ておらず、
1日中暖房がつけられた1階でガチャピンの着ぐるみを着用して寝かされていた。
一方、AとMは2階で生活していた。
理由は、大人用の布団が1つしかないので、AはMに対して何の好意もないが、
子供用の布団では寒いので、仕方なくMが生活する2階でMと一緒にいる、
というものだった。

また、Rを1ヶ月検診に連れて行ったが、3ヶ月、6ヶ月検診には連れて行っていない。
理由はお金がかかるからだそうだ。
そのくせ、生活保護により、無料となった医療費で自分たちは歯医者に通う。

貧困に迫られ、Aは元職場の経営者と性的関係を持ってお金をもらうことになる。

ちなみに、AはMを嫌っていたらしいが、その真意はわからない。
Rの子育てには父親が必要と思っていたAはMとの離婚は考えていなかった。

事件の概略

H28年1月下旬からRに与えられるミルクが薄まる。
それまでスプーン10杯のところを5〜7杯にしていたらしい。
離乳食を与えていたが、Rは痩せ始める。
H28年2月20日、Aは親友からR用の離乳食をもらうが、
Aは自分で作った離乳食をRに与えていたので、それを使うことはなかった。

H28年2月25日〜26日、AがRに離乳食を与えても食べなくなった。
味付けを変えても食べなかった。
どうしたらよいかわからずパニックになるが、誰にも相談してない。
3月1日、Aの親友からもらった離乳食をMがRに与えたところ、それを食べたと聞き、
Aはびっくりしたが、安心する。
なお、AはRの様子をちゃんと見ていない。
3月1日の19時半頃、1階のRが足をバタつかせてるのを見て、
元気だと思ったAは2階で寝た。

3月2日、Rが冷たくなっていた。
このときのRは、生後8ヶ月の赤ちゃんの平均体重の半分しかなかったらしい。
ほおがやせこけ、目が窪み、遺体を見たAの母親は「おじいちゃんみたいだった」と証言した。

また、Rには体に青あざや傷、タバコの火の跡があったらしい。
MはRの鳴き声にストレスを溜め、Rの足の裏に爪を立てて傷をつけたと証言したが、
青あざについては、一部のみお風呂でぶつけた旨証言し、そのほかは不明である。

それぞれの求刑

3月6日に最終意見を述べる場があり、
検察側は、AとMのそれぞれについて、懲役10年を求刑した。
Mの弁護士は懲役5年の情状を訴え、Aの弁護士は寛大な判決を求めた。

ちなみに、空手家による傷害致死事件の判決はこちら

その他まとめ

AとMは本当にお金がなかったのかというとそうではない。
Aのスマホが月2万円であったこと、猫を3匹飼っていたことなどがそれを物語っている。
Aの弁護士とMの弁護士がそれぞれ別だったのが疑問だが、
そもそもこの2人は家族でありながら、何の協力もしていないと思われた。
それがRの死という、とても悲しい結果につながったと思われる。

金がないからRを病院に連れていかない、
金がないからミルクを買えない、
金がないからRの肌着を買えない。。。。

そのくせ自分達はタバコを吸い、着ぐるみを買うという行動をしている。
そして、2人とも歯医者には通っていた。
生活保護受給者は、治療費がタダだと知っていたにもかかわらず、
Rは放置されたままである。

さらに、AとMが飼っている猫3匹も犠牲者であろう。
公判では、猫の行方について議論されてないが、どうなったのであろうか。

Mは裁判で、精神鑑定がなされ、「統合感情失調障害」と診断されたが、
その病気が今回の事件に及ぼした影響を、精神鑑定した医者は否定した。
つまり、Mは病気による影響なく、自己の判断で今回の結果を招いたということである。

AはRの母親であり、Rを愛していたというが、
Rを寝かせていた布団はシミだらけで、畳にはカビが生えていたらしい。
愛する我が子を放置して、
布団がないからと、嫌いなMと一緒に2階で寝る必要が理解不能であった。

とはいえ、この事件の直接的な当事者は3人で、
1人が死亡、2人はその親なので、被害者遺族は自分達であって、
なんとも言い難い事件である。

私見ではあるが、Aが言うRを愛していたということには疑問が多いに残る。
・Rを放置してスマホゲームを1日5時間していたこと
・Rを病院に連れて行っていないこと
・スマホで離乳食の作り方を調べはしたが、Rの健康については何も調べていないこと
・ミルクの量を減らすわりには、自分でタバコを買って吸っていたこと
・Rの布団カバーなどを1回も洗濯していないこと
などなど、挙げればきりがない。

Aについて特に印象に残っているのは、
Aが法廷内を歩くとき、いわゆる「ルンルン」という感じで、
縄跳びを持っている状態みたいだったことである。

また、AとMのそれぞれの弁護士が、
AとMの責任の重さを双方になすりつけあってるように見えたサマが、
悲しさを倍増させたのは言うまでもない。

なお、判決は3月10日である。